馬路の高山

山吹城山

仙の山

矢瀧城山

大江高山

仙ノ山〜矢瀧城山〜降路坂
〜山吹城山〜銀山街道『沖泊線』

せきしゅう さわのごう いわみぎんざんかいどう ここのかいちじゅく
仙ノ山登山口標高140m、頂上標高537.8m
8時30分過ぎ大森着。町頭の駐車場に私の車を置き、kichitoshikunの車で仙ノ山へ。
久方振りのでこぼこ道。山頂にある『石銀集落跡』。福石鉱床が広がり、露頭堀りの行われた所。江戸前期の職場と住まいが同居していた集落跡。大森銀山の最盛期が残っている遺跡。次の『於紅ヶ谷』。1,600年代以前の露頭掘りの採掘跡。周囲の岩盤に残っている『筋情の跡』は、銀採掘の『ノミ』の跡。次に『石銀千畳敷』。坑口の傍に精錬所跡があり、近くには捨てられた『カラミ〜鉱宰』も多数出土している。登山道途中からは『大邑開拓地』『大森の町並み』が見る事が出来た。9時30分過ぎ、降りた。
矢瀧城山登山口標高400m、頂上標高634.2m
仙ノ山を降り、kichitoshikunの車で祖式から矢瀧城山へ向かった。
途中、祖式の町中で『螺子花』さんの家を確認。祖式〜湯里線の狭い道路を上る。途中、滝があった。この滝が『矢瀧城』の由来か・・・・。
10時、登山道入り口に着いた。登山道口に10台余りの車が有った。『ひょっとして登山道の整備でも・・・・』と、思った。登り口は一寸狭く『ん・・・・』と思った。暫らくすると曽根道。整備されている(愛されている山だと感じた)。暫らくすると急峻な道となる。頂上近くなり、なにやら人の声がする。チェンソーの音もする。頂上近くで伐採をしている人たちが居た。祖式のボランティアグループの方で、見晴らしを良くする為伐採をしているとの事。誇りある山を愛し、護っている事を感じる。
山頂からの眺望は絶景。大江高山以外は視界の邪魔をしない。左方向は浅利の浜、浅利富士も見える。前に温泉津・湯里・馬路が見える。眼下には『よずくはで』で有名な西田。右に回って日御碕が見える(天気がよければ・・・・)。丁度曇りから晴れになる端境で、我が故郷方面は見えなかった(?!)。再度晴天の日に登りたいものだ。素晴らしい眺望、いつまでも護って欲しい。11時30分過ぎ、降りた。
降路坂西田側登山口標高160m、峠標高429m、坂根口標高200m
矢瀧のトンネルを抜け、降路坂入り口に車を置く。11時35分、登り始めた。
中国自然歩道と成っており、一応整備されている。石張りの堰堤(大きな物ではないが・・・・)が幾つも有り、又住まいの跡(田んぼの跡?)と思われる石垣が多数見られた。坂がひどくなる手前には、結構な石垣のある平地があった。そこからはどんどん急な山道となり、木製の坂道があり、路の傍には小さな滝も見える。真直ぐ登っていた道が急に左に曲がり、峠へと掛かる。12時10分過ぎ、峠に着いた。標高429メートルの由。1,940年代までは茶屋が有り、甘酒や茶菓子が売られていたとの事。。昭和18年の水害により流出。茶店裏と思われる山肌に、灯籠の礎石と思われる細工石が見られるだけ。面影はない。昼食を取り休憩。
下りは緩やかな坂道。ところどころ石造りの段が残っている。何度か飛び石で川を渡ると、銀山川を堰き止める堰堤の傍を通る。杉林の中を通り過ぎると平地になり、その先が坂根口板所跡。1時前だった。
山吹城山龍源寺間歩側登山口標高200m、頂上標高414.0m、清水寺側登山口標高160m
1時過ぎ、龍源寺間歩駐車場近くの登山口より山吹城へ。
10分余り九十九折の路を登ると曽根道へ。それを過ぎ急坂を上がると視界が開けた。温泉津から仁摩方面が見渡せた。下から吹き上げる風がきつく飛ばされそうだった。そこから5分余りで頂上へ。頂上部の主郭を中心に南北に階段状の郭が有り、主郭下には空堀も有る。北側郭には石垣も残っている。銀山争奪落城を攻防戦の表舞台となり、落城を何度となく繰り返している。頂上部は広く1反部以上もあり、桜の古木が20本近くあり満開だった。眺望はすばらしく、温泉津〜邇摩〜日御碕〜三瓶、遠くに中国山脈とぐるりと見渡せ、眼下には大森の町並みが見え、また眼前には仙の山が横たわっている。1時45分、北側の郭より急な階段を下りる。全部で612段あるそうだ。10分余り掛かって階段を降りると曾根道へ出て、直に銀山街道鞆ヶ浦線の別れの吉迫口へ着く。緩やかな山道を10分余り下ると、街道左側に石垣が階段状に残っている箇所に着く。毛利氏が『休役所』を置き、大森銀山初代奉行大久保長安が『陣屋」を置いた所だそうだ。2時10分、北側登山口(清水寺前)へ出た。
清水寺
山吹城を降り、上市場地区から銀山川を渡り清水寺に立ち寄った。
清水寺は寺宝として、釜屋間歩を開発した安原伝兵衛(備中)が1年に運上銀3,600貫(約14トン)を上納した功績により、徳川家康より拝領した『辻が花染め丁子文胴服(重文』が有ることで有名。2時15分過ぎ清水寺を出て、駐車場に止めてあった私の車で西田に向かう。
西田
3時過ぎ、西田に着いた。
トラブル、kititoshikunの車がバッテリー上がりだ。矢瀧トンネルを抜ける時点灯し消し忘れて駐車した為だ。完全に電気が無いから押し掛けでもエンジンが掛からない。生憎、西田地区は水上神社の春の例祭。ブースターケーブルを借りようにも人が居られない。しょうがないので湯里まで出て、消防署・駐在所と廻る。無い!kichitoshikun
の知り合いの邇摩の電気屋さんに借りに行く。やっとエンジンが掛かったのは、4時過ぎ。直ぐに温泉津へ出発。
銀山街道沖泊線〜松山〜西田
温泉津・湯里境の松山道標に着いたのは4時20分過ぎだった。
『右大森銀山・出雲大社』と刻まれている道標を見やり、街道へ入る。道標から直ぐに石造りの階段となり、道脇には古い石垣もあった。国道9号線清水トンネル上の平坦な路を過ぎるとまたもや石造りの階段。ポスターでたびたび紹介される所のようだ。それを登り坂道を降りると清水地区に入る。戦後建立された龍光寺の前を通り、金柄杓井戸の水でのどを潤し、坂道を登り、民家の間を通って、4時50分前に道床山中腹の街道へ入る。山道を行くと転石が積み上げられた様な所が所々あった。急峻な道床山の石が転がり落ちたところだ。『岩海』と呼ぶようだ。それを過ぎると、街道を往来した馬子達が一服し将棋を指したと言う『将棋岩』がある。5時過ぎ、下り道となり石段を降りると直ぐに湯里・中村地区の分岐点へ出た。5時5分過ぎだった。
石見城
ブスターケーブルを返しに行くkichitoshikunと迩摩で別れ、大森を通って帰る事とし、途中、石見城に寄り、我が家に着いたのは6時を過ぎていた。
植生
自然生えの平茸・椎茸、えんれいそう等、色々な植物と出合った。
4月16日(日)、念願だった石見銀山関連の山登りが出来た。
土曜日(4/15)、朝から雨模様。夜になっても止まない。『明日は雨が降るから止めよう』と、kichitoshikunに無念の電話。翌朝6時過ぎに目が覚め、『うん?!雨が・・・・』、・・・雨が止んでいた。直ぐにkichitoshikunにTel。『OK!!』と快い返事。8時過ぎkichitoshikunと落ち合い勇んで出発。小松地から大邑道路を通って大森へ。大田原牧場前で矢瀧城山・仙の山・山吹城山を確認。


大江高山〜馬路の高山
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