せきしゅう さわのごう いわみぎんざんかいどう ここのかいちじゅく
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矢筈城山、石見銀山を防御するための山城遺構の一つで、中世山城の立地・形態をよく留めている。南北二つの峰(手前の峰は470m、奥は480m)からなり、峰と峰をつなぐ尾根部分が40mも高低差があり、あたかも矢筈(矢を弓の弦に引っ掛ける部分)の様に見えるところから付いた名前。両峰に郭が設けれらており、480mの山頂に主郭部分が築かれており、掘切や竪堀の跡が認められる。尾根部分にも土塁を持つ郭群があり、その間の斜面に二つの小郭が設けられ、連絡路が確保されていた。
矢筈城山の北側には馬路の鞆ヶ浦へ通じる鞆ヶ浦道、南には温泉津港に至る沖泊道があり、更にその南側には矢滝城山があり、銀山街道をはさむ形で築かれた矢筈城と矢滝城が一対となって銀山防衛と、交通路掌握の機能を担っていた。毛利元就の出陣によって、矢筈城から尼子氏の軍隊が撤退したことが文献に残っているとの事。
仁摩町の大国の冠地区にあり、馬路方面へ抜ける町道三叉路より冠川を遡ると、民家3軒余りの小さな部落があり、棚田を見下ろす民家入り口上手より登山道入り口がある。棚田の一番奥の荒れた田圃の傍から登山道へ入る。竹やぶの奥に廃屋が見えた。杉の植わった山道を登ると小曽根に出、しばらくすると西田からの登山口との合流点と思われる笹ヶ峠に出る。それを左に急な小曽根を登りさらに急な斜面に出る。立木につかまりながら登り切ると狭い尾根に出る。しばらく行くと広くなり椿が群生(花は余り付いていない)している。少し尾根を歩くと470mの峰に到達。峰の下に本丸への案内板がありそれに従い下へ下がる。30m下った地点に平らな部分があり、2段になっており土塁と思われるものが認められた。ここが第一の城郭のようだ。猪のぬた場があった。
第一の城郭部から急な斜面を登ると尾根部に到達。尾根部には大きな岩があり、その先に本丸跡の看板が見える。本丸の下は2段になっており、斜面には大きな石がごろごろしている。この尾根を左方向に下ると冠山(烏帽子岩)に行くようだ(kichitosikun談)。
尾根の岩場からの眺望
左から三瓶山・島根半島・大田海岸・馬路の高山・湯里・温泉津・浅利そして遠くにに波子の浜も見えたような・・・・。北側斜め下には冠山(烏帽子岩)・直下に冠地区、南側には西田・飯原、一段低い峰に上がる途中の曽根からは矢瀧城山が望める。
植生など
椿の群生はあれど花は少ない。アオキの群生が登山口杉林の中にあり、この次期雌株には実と花が一緒に見られる。ふきのとう・スミレ・水仙・梅も開花しおたまじゃくしもかえっていた。山肌には大きな転石が点在し、又地表には転石と同じような土質の砂地が見える。棚田は随分と高いところまでで耕されているが、登山道入り口から上にはしっかりとした石垣の見える田圃(宅地)が見えた。


矢筈城