大森の町並と史跡
銀山発見初期の頃は、仙ノ山山頂の石銀や南側の本谷を中心に銀の採掘が行われ、と同時
に人々の生活の場としての集落が形成された。まもなく銀山の各谷にも鉱山労働者・武士・商
人・手工業者など多種多様な人々が居住するようになり、銀山は都市として目覚しく発展した。
銀山最盛期の慶長から寛永には、人口20万人・寺院100ヶ寺を超えたという。
大森は、初代奉行大久保長安が地元の役人に指示し、意図的に建設された町のようであり、
大森と言う名前は、城上神社境内の生い茂った木々から附いた由。江戸初期には依然銀山
が政治の中心だったが、御銀倉の移転に伴い次第に大森町へと移った。やがて支配関連施
設が大森へ移転すると、徳川幕府直轄銀山領4万8千石の政都として一段と発展していった。
町並み
BackNumberちび太のワン言2006年1月15日の記事参照
仙ノ山


仙ノ山案内看板

灰屋と住居が・・・

石銀地区の・・・

職場と住居が・・・

左に下がると

於紅ヶ谷案内看板

於紅ヶ谷露頭堀跡

筋状にノミの跡が

石銀千畳敷

遠くに三瓶山

大森の町並み
山吹城

龍源寺間歩駐車場より

本丸〔主郭)まで940m

階段道が・・・

本丸まで550m

ゆったりとした曽根道

一寸登りに・・・

急坂を登ると・・・

仁摩方面が・・

馬路の高山

矢瀧城山

南側3の丸(郭)・・・

本丸(主郭)下の空掘り

北側の階段状の郭

大森の町並み

三瓶山が・・・

郭にある案内板

山吹城の構成は・・・

石垣が・・・

北側の2の丸(郭)より

北側の3の丸(郭)より

北側の降り口

急な階段が続く

425-192=617段も

椿の回廊

吉迫口別れ

右は鞆が浦へ

牛の首地蔵

のとろな道が・・・

北側登山口へ360m

休役所跡

登山口案内板

山吹城とは・・・
せきしゅう さわのごう いわみぎんざんかいどう ここのかいちじゅく
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