大森の町並と史跡 銀山発見初期の頃は、仙ノ山山頂の石銀や南側の本谷を中心に銀の採掘が行われ、と同時 に人々の生活の場としての集落が形成された。まもなく銀山の各谷にも鉱山労働者・武士・商 人・手工業者など多種多様な人々が居住するようになり、銀山は都市として目覚しく発展した。 銀山最盛期の慶長から寛永には、人口20万人・寺院100ヶ寺を超えたという。 大森は、初代奉行大久保長安が地元の役人に指示し、意図的に建設された町のようであり、 大森と言う名前は、城上神社境内の生い茂った木々から附いた由。江戸初期には依然銀山 が政治の中心だったが、御銀倉の移転に伴い次第に大森町へと移った。やがて支配関連施 設が大森へ移転すると、徳川幕府直轄銀山領4万8千石の政都として一段と発展していった。 町並み BackNumberちび太のワン言2006年1月15日の記事参照 仙ノ山
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